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二つのコルホーズの争いの話

ちょっと、戯曲を読み始めてみて驚いたので忘れないうちに書いておこう。
劇中劇でコルホーズの農民に観客が見立てられているのはわかってたけど、
この農民たちは砲火で廃墟となった村にいて全員が仲間なわけじゃなくて、
山羊飼育のコルホーズと果樹栽培のコルホーズの二つのコルホーズの農民たち、
そして、「ヌーカ」(グルシャの住んでいる町ね)の土地を争っている。

山羊飼育のコルホーズは土地が戦で大損害を受けたのを見て、
当局の命令通りに山羊たちを別の土地に移動させた。
隣接する土地の果樹栽培のコルホーズはこれから再建するにあたって
この見捨てられた放牧地を果樹とブドウの果樹栽培に使用したいという。
それで、この土地がどっちが使用すべきかを話し合う場に
農民たちは集まっているんです。

「昔からわしらのもんだ」「昔から誰かが所有していた土地なんてない」
確かに、グルシャの時代の話でもそうだよね、権力者は殺され、時代は変化する。
「法的にはわしらのもんだ」「その法は現在でも通用するのか?」
やっぱりこの話は「アズダックの裁きが何を基準にしているか」が最重要のテーマだよ。

今で言えば、
フジテレビをめぐって争う「現在の経営陣」と「ライブドア」ってとこか。
どっちが、フジテレビのためになるのか、って話だな。
まあ、「フジテレビのため」とは何なのかを解題しないと、この話は進まないのでおいといて、つうか話が思いっきりズレてるし(^^;

「土地がどう役に立つのか」・・・果樹栽培が有利か
「昔より実り豊かになった故郷に、二つのコルホーズの人たちが帰ってくること」
を願ってるという果樹栽培のコルホーズの計画は説得力があるね
「土地を特別の土地と見立てて持つ愛着をどう扱うか」・・・山羊飼育が有利か

「土地」をミカエルに見立てたとしたら、
「ミカエルがどう役に立つのか」は、ミカエルをモノ的に捉えるとナテラに有利だな。
だけど「土地の幸せ」=「ミカエルの幸せ」ととらえると、
ミカエルが後々、豊かな土壌となるためには、グルシャが有利だな。
「ミカエルへの愛着」は、グルシャに有利かも、
でも土地に愛着を持ってるのは山羊の方。
昔からの所有、法的に正しい所有は、山羊の方でそれはナテラだな。

そして、劇中劇の上演は、果樹栽培のコルホーズの人たちが
折れてくれた山羊飼育のコルホーズの代表の人たちと一緒に
楽しんでみることになってる。

そういう視点で、この劇を見てみると、全然ちがってみえてくるかも。
串田さんは、全部なくしちゃったけどね。

でも、グルシャが子育てによって勝ち得た「母性」はどう関連するんだろう?
「ミカエルが必要としているのは」・・・グルシャ
「土地が必要としているのは」・・・・・果樹栽培
この程度なら、すっきりわかるんだけど、
「母性」はなんだろ?「土地に対する愛情」?郷土愛みたいなもんかな。
それがあるから、その土地は生きることができる。そんなもんかな。
果樹栽培のコルホーズさんたちは土地を愛してくださいな。

あと一回しか観れないのか、さびしいなあ。
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楽しいことはいいことだ!

いやあ、もうすごく楽しかったです。
串田さんはこれをやりたかったんだなあ。
舞台と客席の境目をなくすこと。

串田さんは、自分が演じていて楽しいことを
みんなにも分けてくれたいんじゃないのかなあ。
そんな、楽しい気分を今日はさせてもらいました。

役者さんたちはみんな楽しそう。
観客もみんなた楽しそう。
そういう場にいられることは、とっても素敵なことだと思いました。

串田さん、松さん、その他キャスト&スタッフ
そして、一緒に楽しく観劇したみなさん、ありがとう。

それとね、非常に個人的なことだけど、
ずっと嫌いだと思っていた人がいたんだけど、
今日の最後のダンスで、
その人がすごく楽しそうに踊っているのを偶然みたんですよ。
そのとき「もういいや」って思いました。
私は、そういう気持ちを私にもたらしてくれたこのお芝居に感謝します。

さて、演出に関するネタバレはしません。
これは、絶対、自分でワクワクしながら見たほうがはるかに楽しいから。
でも、もし行けるなら松本にはぜひ行ってください。
串田さんがやりたくてしょうがなかったことをいっぱい知ることができます。
間違いなく楽しいです。

で、肝心の松さんですが、やっぱり大好きです。
松さん、ふっきれてます。
優等生的おとなしさがなりを潜めて、
人を惹きつける、笑いをとれる演技。とくに前半。
私の中では、松さんの株、また高値上昇中です。
松さんの肩書きから「優等生」っていう言葉をはずすことにします。
(肩書きってのは冗談で使ってますからね)

みなさん、松本に行きましょう!!!!
やっぱりね、まず楽しいことって大切ですよ。
だから、本当のことを言うと「退屈だ」って言ってる人の気持ちは
全然わかりません。理解しようとしたら、ああなるってだけで・・・。
ああ、楽に行きたい。うーーーーん、うーーーーーーーん、仕事さぼりたい(;;)

まっつんに「じゃあ、あげる」って笑顔でもらった赤い布、
ちゃんと、役目を果たしましたよ。
大楽まであと少し串田さんの世界を楽しんでね。

中身のことも色々書きたいけど、それは、また今度ね。

削除された冒頭シーン

今は松本です。今朝は飛行機に乗り遅れてしまって
エライ出費になりました。ガックシ。
まあ、私が悪いんだけどね。しいて理由をあげるならば、
新しく買った「頭のまくら付きの抱き枕」が寝心地がよすぎた
ってことかな。

さて「ブレヒト」の本、序文だけ読みました。
「叙事的演劇」の話と「異化効果」の話が書かれていましたが、
「叙事的演劇」のところで思ったことを書こうと思います。

「作・演出 ブレヒト」をブレヒト劇といい、
ブレヒトの演出を踏襲することをブレヒト劇というならば、
今回の「コーカサスの白墨の輪」は「ブレヒト劇ではない」という言葉は、
非常に正しいと思いました。

ただし、ブレヒトが革新者であったのなら、
ブレヒトの演出法がきちんとした目的をもって崩されることには
異論を持たないだろうということ。
どのように崩すかというその手法の効果に疑問を挟むことはあっても、
崩そうとする行為そのものは肯定するだろうなということ。
こういう印象も持ちました。

それと誤解してはいけないのは、ブレヒトは感情が揺さぶられることに
関してはむしろそれを求めているということです。
ただ、そのときに感情が揺さぶられてある種の感情を消化してしまって、
それ以上に発展性を持たないことを危惧しているのであって、
観客が自身や自分の所属する社会への問いかけに
その感情を結びつけることを求めているのかなあと思いました。
求めていると書くと、観客に要求する作家・演出家という風にみえますが、
そうではなくて自身の戯曲・演出が観客をそういう状態に導けるように、
戯曲をつくり、演出の中で様々な試みをした人なのだろうと考えてます。

ブレヒトの試みた劇中劇の構成は、今回は完全に崩されているといってよいと思います。
以前書いた私の書き方を踏襲して、劇中劇を劇(A)中劇(B)とすると、
劇(A)は劇(B)を観るにあたってある種のテーマを観客に与える位置づけに
なるのではないかと思います。
しかし、今回は私たち観客は劇(A)の中に取り込まれていて、
劇(A)では、これから観る出し物がをどういう視点でみればいいかは語られず、
現代の自分たちに置き換えられるものなのかは、問われません。
劇(A)でのコルホーズの話は、現代に置き換えて語れる可能性はあったはずです。

だから、指針を与えられないままに観る寓話は、
「どこか遠い国の遠い物語」の印象のまますすみ、
観客は自分の問題として主体的にとらえることがしづらくなる。

非常に興味深い感想を書いている人がいた。
「だらだらと、観客は途中で勝手に休憩したりしつつ、10時間くらい芝居を見るような感じ」
これは結びつきがゆるやかなシーン、シーンが連続していて、
全体を通して見逃しても支障がないということだと思う。
一瞬、この人は物語から何かを得ようとしていないのかと思ったけれど、
そうではなく、この物語の断片のつなぎあわせからは、総体となったときに得られる
ものがないという主張なのだろうと思った。

だから、一つ一つのシーンがある総体の部分であることは、
最初の段階で提示されていなければ、見る人に退屈をもたらすのだと思う。
ここで物語からカタルシスを得ようと行った人は肩透かしをくらわされる。

その退屈を緩和しているのが、場の作り方なのだと思う。
具体的には、音演劇の手法、照明の使い方や空間の使い方、小道具の使い方などである。
そこに目新しさを感じる人は退屈しないけれど、それをいつもと変わらない手法と
感じる人は、満足を得られないのだろう。

私自身はどんな演劇でも伝えたい何かがあるはずだと考えているので、
戯曲と演出そして演技から語られるものに意味を見出したいと考えて、
最初から演劇を見ているけれど、種種雑多な観客がすべてそれを求めているわけではない。
しかし、表現に意味を見出すエモーションを自然に観客が起こすように
ブレヒトは演出方法や戯曲を考えたわけで、その意味で、観客への
そういう働きかけができていない演出はブレヒト的ではないのでしょうね。

多くの観客が主体的に演劇を観るためには、劇(A)での現代的テーマの提示が
必要だろう。もし、これを削るならば、何か代替がなければならないのだろうと思う。

母性は育つのか!?

串田さんの芝居は目をみはる。
だけど、それは本を活かしてるのかというと
よくわからないなあと、こないだから思ってる。
どのようなカタルシスであれ、場当たり的な満足をさせてしまうことは
確かに思考を奪うよなあ、でも、満足をさせることは必要なことだし。。。
でも、このことをちゃんと考えるのは薦めてもらったブレヒトの本を
読んでからにしようと思う。

今日は、もうすぐ観るから、その前に頭の中を整理しとこう。

私は最初に観たときに、これはアズダックの話だと思った。
アズダックの裁きの理由を知りたいと思って考えた。
アズダックの裁きを肯定することは、
社会(法や制度)が必ずしも正しくないことを表していた。
アズダックの裁きについては前の日記をどうぞ

今日は、もうひとつの話、グルシャの母性の話。
他のサイトで母性についてとっても興味深い書き込みを読んで、
そこでもちょっと書いたけど、母性のことを整理しとこう。

グルシャは旅をする中で確実にミカエルに対する気持ちを変貌させる。
小さな命を救うことは人として正しいこと(アガペー=人類愛)
 → 特別の存在へ(エロス的心の見返りを求めてしまう愛)
 → その子のためには自分の思いは犠牲に(犠牲的献身=キムがタムに見せた愛)
こんな感じで、今までも書いてきました。

そして、「母性」。
女性に限定して見えるこの言葉に最初はちょっと抵抗がありました。
なぜかと言うと、最初のアガペー的な部分
「人間を愛する気持ち、大切に思う気持ち、尊重する気持ち」
こんな感じが「母性」なのかなと漠然と考えていたからなんです。

だけど、あるサイトで、こういう内容の書き込みがありました。
「橋を渡ったグルシャがグッと母の顔になっていった」
「グルシャが本当に段々と母の顔になっていくのには感動すら覚えた」
「生んでいないだけに、経験が彼女を母にして行く」

橋を渡るシーンの重要性について書き込みは続きます。
「グルシャはそれ(出産の体験)を経験せずに母になった。
だからあの橋での経験が大事だったんではないかと!!」

自分の命を賭けてミカエルを守るグルシャ、
この橋を渡ったことがグルシャの出産体験であって、
この体験をしていなかったら、グルシャは白墨の輪で
ミカエルの手を引っ張っていたんじゃないか・・

とそこには書かれていました。

「生きるのも一緒死ぬのも一緒」といいながら橋を渡る
それがグルシャを母親にした。
つまり、そこで本当の母性が目覚めたのだとしたら、

それが、私が言うところの「犠牲的献身」の目覚めなんだろうと思います。
もし、それを母性と呼ぶのなら、
そして、グルシャはミカエルと一緒に生きることで母性を生み出したのなら
それは女性に特有のものではなく、男性も一緒に生きることで得られるのでは?

産みの母親は最初から、子どもがこの世に生まれ出る前から、
子どもと一緒に生きているわけですから、
この体験をしなくても母性を持っていることになる。

でもナテラさんに出産の体験がありながら母性がないのは、
やっぱり子育てをしなかったからなんでしょうかね。
たぶん、彼女の心の中にも母性はどこかにあるんだと思うんです。
人間だから。。。
でも、ミカエルをちゃんと見たことないんじゃないのかな、ナテラさんは。
だから、気づかなかったんだね。

私は「エロス的な欲」は人間である限り必ずあると思います。
最初から最後まで徹頭徹尾「自己犠牲的な母性」を持っているわけではない。
どちらかに確実に自分が置かれているものではなくて、
つねに揺れ動いているもののような気がします。
それが、子育てや一緒に生きることの体験を通して、
そして、そこに何を感じるかによって、
どちらかの気持ちが強くなっていく。そんな気がしてます。

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くたくたした大根の煮物

わからないことって大事だよね。
わかってないことの自覚から、
わかろうとする、近づこうとする気持ちが生まれるから。

私、最初、朝比奈さんの横にいる毬谷さんは待機してるのかと
思ってたけど、そのうち、ふっと、「ああそうか!」
あれは、城の一角で知事はチェロを弾いて優雅な時間をすごし、
ナテラはゆったりとした時間の中で雑誌を読んでるシーンを
演じてるんだって、思ったり気づくんですよね。
もちろん、気づいたのは2回目の観劇以降ですよ。
全体像が見えてくると、細部の意味が見えてくるんですよね。
そして、細部の意味が見えてくると、全体から伝わってくるものも
どんどんと増していく。面白いね、わからないことって。

「コーカサスの白墨の輪」でグルシャが手を引かないのは
ほとんどの人が「えっ?」と驚く。「何でだ?」って思う。
この「何でだ?」って思わせる効果は絶大だなあ。


最後の歌、こんなんだったけかな?

「戦繰り返し~世界は裏返し~♪
豊かなものは闇に消え、貧しきもの笑う♪
だからもう2度と目を覚ますな妹よ~♪
だからナイフを握り締め、眠れ弟よ~♪」

眠れって言ってる。。。妹にも弟にも。
安寧は、眠りによってしかもたらされないのかな。

あとね、
お城が燃えるシーンでちょっと臭くなるよね。
私はあれがちょっと好きだったりします。

この舞台、音楽劇だから音はすごい。盛りだくさん。
でもって、振動もすごい。臭いもすごい。
それに、照明を使ってエリアを区切るじゃないですか、
明暗だけで場をつくってしまうってのもすごい。
木の棒でエリアを区切るよりも効果は絶大だと思う。

円形っていうのも、面白いね。
行っても行っても果てがない。
中に入るか、外に出るか。
ステージへの入って来方もすごいよね。
円の中にポンっと入るだけで、一瞬にしてグルシャになる。
あの控えてるときの空気、すごい好き。

この、だらだらと脈絡のない感じ。
今の私はこんな気分です。
いま、人にもらった大根の煮たやつ食べてるからかな。
くたくたした感じです。

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