スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

きっと、いい出会いだった

今月号の父と娘の往復書簡を読んだら、
ずいぶん昔の人との別れの話が書かれていた。

当時の自分が書いたものを、PCの中から探しました。
うん、そうだった。こんなことを思ってたな。

2002/07/19 雨の日、一つの訃報
http://matsutako.blog87.fc2.com/blog-entry-278.html
2002/07/21 思い出は私の心の中だけに
http://matsutako.blog87.fc2.com/blog-entry-279.html

もう一つの話は、古くからの友達の話だった。
たかちゃんは、大切に思える人がいるんだね。
私も、大切に思っている人はいるよ。

何気ない日常の中で積み重ねられる言葉。

人と人をつなぐのは「素晴らしい言葉」というよりも、
誰がどういうシチュエーションで、思いを発するのか、
誰がどういうシチュエーションで、思いを受け取るのか、
人と人との関係性。それが何よりも大きな結びつきの力となる。

確かに、そばにいること、話を聴くこと、お互いに。
それはコンピュータの画面を通じてよりも、
言葉の数が少なくても通じ合えるかも知れない。
いるだけでいい場合も、話を聴くだけでいい場合も、
発される言葉が必要な場合も、いろいろだろう。

でも、過信は危険だ。
面と向かって、電話、手紙、インターネット、
どんなコミュニケーション手段であっても、
半ば通じ合うことができ、半ば通じ合うことはできない。
そう書いたら、私はまた・・・
冷たい人間、寂しい人間扱いになるのかもな。
話がずれた。
「発される言葉」=「受け取られる言葉」とも限らない。

たまたま流れてきた音楽や、何気なく見ていたドラマ、
そういったものとの出会いが、人の何かを変えることだってある。
それだって、立派な出会いだ。立派なコミュニケートだ。
たかちゃんの仕事はそういう仕事なんじゃないのかな?

たった一人でもいいんだよね、必要としている人に伝われば。
誰かを意図的に変えるなんてことはできない。
その人がいい出会いをすること、それを祈ろう。

祈る? じゃあ、結局無力なの? そうではないと思う。
人と接しなければ、出会いがなければ、次のステップはない。
出会いそのものが力だと思う。ふれあいは力だと思う。
自分は受け入れられるかも知れない、受け入れられないかも知れない。
もし、自分が受け入れられなかったとしても、
その人が、別のいい出会いをすればいいんだよ。

そして、それは自分が人と大切に関っている限り、
めぐりめぐって、必ずいい出会いがその人にも訪れる。
本当はそう信じたいんだよね。

だけど、たかちゃんの大切な人たちは死んでしまった。
死の瞬間、その人たちが何を思っていたのかなんてわからない。
でも、きっとたかちゃんとの出会いは、その人たちにとって、
いい出会いだったよ。財産だったよ。
たかちゃんが幸四郎さんに宛てた手紙を読んで、そして、
4年前の自分の書いた文章を読みながら、そう思った。

今さっき、CMに串田さんが出てて、
ふと「あっこのおじさん知ってる人や」って思った。
テレビに出てる人っていう意味じゃなくて、知り合いって意味ね。
いや、一度も話したことはないんですよ。不思議だね。
スポンサーサイト

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © マツタコA All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。