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生きていたかったというオモイ

もうすぐ観に行くし、と思って、
最後のセリフを見直そうと文学界を眺めてたら、
またまた、いろいろ思いが湧いてきて、
最後から最初へと逆向きのへんな読み方をしてしまいました。

アメリカに憧れていたヤマト、
アメリカに認められたかったマッサーカー
この世の天国アメリカを夢見て、自由を求めた若者たちは、
自由を与えますとやってきたアメリカに殺されました。
原爆を使ってみたかったアメリカに殺されました。
おかげで、世界は核兵器の悲惨さを語れます。

「復讐心」には、すべてが含まれているらしい。
敬いの心も愛する心も、すべてが。
この間は「復讐」と言われてビビりました。
その言葉を身体が拒否しました。
復讐の念は、敬いの心や愛する心を踏みにじった相手に向かう。
愛が深ければ深いほど、復讐の念は強くなる。

だったら、復讐に至らないのは、愛の心が浅いから?
殺された愛していた人よりも、自分の方を愛しているから?
原爆を落とされても復讐心が芽生えないのは・・・
自分は生きているから? 他の人の死は自分には関係ないから?

生き残った人は、生きつづけなければならない。
未来に生き延びるためには、強いものにへつらい、
新しい世の中に慣れる知恵が必要だ。
時間を知った以上は、やがて死を迎えるその日まで
明日へ、明日へと生きつづけなければならない。
そして、慣れて忘れてしまう。自分の中に潜む過去を。
自分に嘘をついたことを。

死んだ人間は自由に語れる。本当のことを語れる。
生きつづけなくてもいいから。
でも、死んだ人は生きていたかったと思う。
生きていたかったことを代わりに叫んであげなくちゃ。

「生きていたかったというオモイ」それを背負ってしまった富士
「生きていたかったというオモイ」は復讐によって報われるのだろうか?
復讐によってしか「愛」や「敬い」を示せないのだろうか?
復讐の念は、さらなる復讐の念を生むだけだ、とは思う。
でも、愛を奪った相手に、愛を与えることが果たしてできるのか?
目をつぶされたら、目をつぶし返さないと理解できないのだろうか?
右の頬を打たれたら、左の頬を出したのでは、通じないのだろうか?
右の腕をもがれたら、左の腕も差し出す勇気があるだろうか?
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