スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

3つの愛

今日は、いいお話を聞いた。
キリスト教の聖典といえば、聖書。
そして、イエス・キリストの言行についてふれたものが新約聖書。
そのぐらいは、キリスト教徒がわずか数%しかいない日本でも
ほとんどの人が知っているでしょう。

新約聖書には「愛」という言葉が盛んに出てきます。
キリスト教とは何かと尋ねられ、新島襄はこう答えたといいます。
「愛以貫之」(愛を以ってこれを貫く)
キリスト教は、「信仰・希望・愛」
中でも「愛」の宗教なのです。

ここからが本題です。
この「愛」ということば、日本語訳の聖書ではすべて
「愛」と訳されているのですが、、、、実は、
本来、この本が書かれた言語である古典ギリシャ語では、
3つの言葉に分かれているんです。
「アガペー【(αγαπη), agapee】」
「エロス【(ερωs), eroos】」
「フィリア【(φιλια), philia】」
私は知らなかったので、ものすごく勉強になりました。
ただ、ギリシャで使われていたこの3つの言葉とキリスト教で使われている
意味合いにはやや違いがあるようです。

ギリシャでは、「アガペー」は、
家族・兄弟・恋人・友人への普通の愛情を表していました。
ですから、キリスト教でこの「アガペー」が使われるとき、
神が人を我が子のように愛するとき、それは
無条件的絶対愛、無償の愛とされたんです。
親は子を無条件に愛するでしょ。
「ミス・サイゴン」でのキムのタムへの愛のように。
最近はひどい事件も多いですけどね。
「アガペー」は神が人を愛するように、
相手がどういう人であろうと無条件に愛する愛なんです。

「エロス」は、簡単に言えば、これは誰かに恋(恋愛)したときに
陥るような自分でも自由にできない、どうしようもない感情のこと。
激情的、情動的な愛です。
ギリシャでは、エロスは偉大な神でもありました。
ローマ神話のキューピッド(ローマではクピド)と同じ神様です。
といえば、わかりやすいと思います。
よく弓矢を持った裸の翼を持った少年として描かれていますよね。
あの矢で撃たれた者は、恋に落ち、愛の苦しみを与えられるのです。
無償の愛「アガペー」に対して、エロスは代償を求める愛。
恋に落ちると、相手が自分をどう思っているかという思いに苦しめられる。
愛する人から愛して欲しいという気持ちが芽生えてくるんですよね。
そして、エロスは肉体の愛を含んでいたんです。
でも、肉体だけの愛(性愛?)だけじゃない感情だと私は思います。
日本語で「エロ」というとそういう風に捉えられがちですけどね。

「フィリア」は、「友愛」と訳され、友人や仲間たちに感じる愛とされています。
でも、もちろん対象は家族や恋人である場合もあります。
どういう気持ちかってことですから。
ただ、間違えてはいけないのは、「友情」ではないってことです。
感情的な「エロス」に対して
精神的な理知的な愛情ということでいいんじゃないでしょうか。

実は、ギリシアでは異性だけでなく同性に対してもエロスの愛は現れていました。
フィリアの友愛と、エロス的な友愛は、ギリシャでは連続的な感情であったようです。
しかし、キリスト教は同性愛を認めませんから、
そのあたりの連続性はキリスト教的にはなくなり、
フィリア的な「愛としての友愛」は友情的色彩を強め、
エロスは異性に対する性愛的な色彩を強めたと思われます。

そこで、キリスト教的解釈の中で、
「アガペー=精神的・霊的な愛」
「エロス=世俗的・肉体的な愛」
「フィリア=友情的な友愛」
ごくごく簡単に言うと、このような区分になったわけです。

もうちょっと書きたいことがあるんだけど、長くなったので、また今度。
スポンサーサイト

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © マツタコA All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。