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「愛」は「大切」

「アガペー【(αγαπη), agapee】」
「エロス【(ερωs), eroos】」
「フィリア【(φιλια), philia】」

「3つの愛」の続きですが、アガペーとエロスは高校の時
倫理社会で勉強したからなんとなくは知ってたのです。
知らなかったのは、新約聖書で出てくるこの3つの概念を
日本語ではすべて同じ言葉、つまり「愛」としているということ。

なぜ、区別して訳されなかったのか・・・
日本語訳の聖書が誕生したのは1880年。
1872年から翻訳委員会ができて、検討が重ねられたのですが、
そのときに参考にしたのが、英語訳の聖書と中国語訳の聖書。
この中国語訳の聖書に「愛」という言葉が使用されていたんだそうです。

中国の愛の概念の中には、アガペー的なものがあり、
それは「仁愛」と表現されます。儒教の概念です。人類愛のようなものです。
「仁」は親子兄弟という血縁に根ざす親愛感のことで、
これを無縁の人にまで広げていくことを「仁道」といいます。
まさしく、アガペーですよね。墨子は「天下互いに兼愛すべし」と言ったし、
どの宗教?教え?も大して変わらないことを言ってるんだよね。
そういえば、小学校6年生のときに「どの宗教でも一緒だ」と今と同じことを
親に言ったら(進歩ないなあ私・・・)、
親が困ってたことを今でもよく覚えてます。

翻って日本では、「愛」の響きは、むしろエロス的な特別の個人に対する
愛情を思い起こさせるものであった。
それこそ、仏教では「愛=エロス」は煩悩の一つである貪(とん)、執着であり、
解脱への妨げだった。ちなみに六煩悩の残りは、
瞋(じん)(憎悪)、痴(ち)(無知)、慢(まん)(慢心)、
疑(ぎ)(仏教の教えに対する疑い)、見(けん)(誤った見解) です。

仏教的な言葉では「慈悲」が比較的アガペーに近いのではないかと思います。
「慈」は真実の友情のこと、「悲」は哀れみ、優しさのこと。
儒教も含めて、東洋的な思想では、他人を自分と同じに愛することは不可能だと。
だけど、「己の欲せざるところを人に施すなかれ(by 孔子)」、
そこから相互に相手を哀れみ、いたわりあう愛、「慈悲」が生まれるというわけです。

この間、聞いたお話は、だから、
聖書の教え「汝の敵を愛せよ」と言われて、
恋人を愛するような特別な思いを抱かないといけないのかと、
キリスト教の説く「愛」に敷居を高く感じる人がいるという話でした。
さすがに新約聖書の日本語訳が出てきてから125年位が経った現代では、
神的な愛(アガペー)を人類愛的な人間というものを尊ぶ愛として
認識している人が多くなってきているとは思います。

アガペーの愛をなんとか日本人にもうまく伝えられないものか・・・
そこで、ある人が独自の訳を考えたものを教えてくれました。

「愛(アガペー)」=「大切」

だから、「汝の敵を愛せよ」は、
「わが身に仇をなす人には、なお大切を持って奉ずる道なり」

人を大切に思うこと、人を尊ぶこと
これなら愛するよりもずっと敷居を低く感じるんじゃないでしょうか。
でも、実はとても難しい。

考えだすとね、いろいろ思う。
近世的な恋愛観と近代的な恋愛観のこと、「黄金の日々」に見る恋愛のこと
また、今度ね。
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