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「善の誘惑」からエロス的愛へ

「誘惑」は、the seductive power
魅惑的な人を引き付ける力、そそのかす力。
このような意味です。

私が考える「善の誘惑」は、
「社会で楽な生き方をする」ことから引き離される方向に
誘われ、惑わされることです。

最終的に何かを決定するのは人の心、すなわち「内からの力」です。
「外から働く力」がきっかけとなり、「内からの力」を揺り動かす。
その「内からの力」には、善の心と悪の心がある。
それが葛藤するのが人間だと思います。

以下、ネタバレあるので隠します。
グルシャがミカエルを置き去りにできなかった「かわいそう」という気持ち、
これが「善の誘惑」。
そして、「かわいそう」という気持ちが無償で起ることこそが「アガペー」。
「かわいそう」という気持ちを満たすことは、自分のための行為ですが、
それはミカエルを救う「ミカエルのため」の行動でもある。
だって、放っておいたら殺されますから。
たとえば、医者は人の命を救う、消防士も人の命を救う。
もちろん、彼らには自己満足な気持ちがあるはずです。
だけど、自己満足だからと言って、
人の命を救うという素晴らしい行為の価値が減るでしょうか?
自己満足でいいんじゃないでしょうか?

ただし、グルシャはその後、窮地に陥ってしまいます。
そこまでの覚悟がなかったために、
一度は捨てようとしますが、それは、身勝手というよりは、
自分の力の無さを思い知ったからだと思います。
人を救い、生かすためには、自身が強くなければならない。
だから、置き去りではなくて、ふさわしい人に育ててもらえるように考えた。

私は、グルシャがミカエルから解放された後、
喜びそして悲しむシーンが大好きなんですが、
グルシャは、このときに「自分のため」に悲しみだします。
もし、農夫たちがいい人たちならば、
育てる能力のないグルシャが育てるよりははるかにいいわけです。
だけど、グルシャにとってミカエルが特別な存在に成り出し、
自分の寂しさのために手放したくはなかったのです。本当は。

「アガペー(隣人愛)」から救ったものが、
「自分のためのエロス的愛」も生み出してしまった。

書き出したら寝れなくなっちゃったじゃん。

実際に、グルシャは農夫に預けて、寂しさを感じはするものの、
元気に町に戻ろうとするのです。
だけど、ミカエルの命がまた危険にさらされることを偶然に知った。
だから、ミカエルを救うために、また安易な行動ではありますが、
走って農夫の家まで戻ります。

つり橋を渡ることも、山奥の男との結婚も、すべて「自己犠牲」です。
彼女は、このときすでに ミカエル>自分。
ミカエルに尽くせることを幸せだとグルシャは思っていたでしょうね。
それを「自己満足」という人もいるでしょうが。
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