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この子にだけは

「セツアンの善人」に「この子にだけは善人でいよう」というセリフがあります。
私は、最後の裁判のときに、このセリフを思い出していました。

だから、「セツアン・・・」じゃないって(^^;
裁判するの好きだよね、ブレヒトさん。
とりあえず、以下、「コーカサスの白墨の輪」ネタバレしてます。

グルシャは(この子にだけは私を人間扱いしない人になって欲しくない)
そう思って、「私の子です」と言うのです。

以前、「アガペー」「エロス」「フィリア」の3つの愛について
日記に書きましたが、

私は、最初にミカエルを置き去りにできなかったとき、
アガペーの愛、無償の愛を発揮したのだと思っています。
ミカエルを見捨てられなかったのは、人がもともと持つ善なる心。

だけど、ラストの裁判のときに「私の子です」と言うグルシャは、
「特別」という感情を抱くようになっていたと思います。

「人間一般を大切に思う心」から「特別な人を愛する心」へ
ラストの裁判のときには、グルシャにとって
ミカエルは、他の人たちから区別される「特別」な存在になっていた。
エロス的な愛がグルシャに生じていたのだと思うのです。
でも、「特別」であって「束縛」ではないですよ。

「この子にだけは」

他の誰(たとえばナデラ)が自分(グルシャ)を人間扱いしなくてもかまわない。
だけど、「この子(ミカエル)にだけは」自分(グルシャ)を認めて欲しい。
エロスの特別の愛には、逆に必ず見返りを期待してしまうところが
あるのだろうと思うのです。ミカエルが自分を人間とみてくれるように
なるという見返りをグルシャは求めているのだと思います。

私、この気持ちは非常によくわかります。
たとえばね、私のことを悪く言う人がいるとします。
でも、その人が私にとってナデラであれば、私は悲しくない。
だけど、もし私の愛している人、大好きな人、信じている人が、
私のことを悪く言う人になったら、それはとても悲しい。

グルシャのミカエルに対する気持ちはこういう気持ちだと思うんです。
私が大好きな人たちは大人、だから私は
その人たちが私を悪く言うとは思わないし、
放たれる悪口を信じないだろうと思います。
私は、分別ある大人であるその人たちを信じることができるんです。
でも、ミカエルは子どもです。これから環境に影響されていくのです。
「せめて言葉をもう少し覚えるまで」
このセリフ、私はものすごく重く受け止めてます。
人を豚と呼ぶ言葉を教えたくはないのです。

グルシャが手を引けなかったのは、
前にも書いたとおり、つねに自分のことではなく、
ミカエルのことを思っているから。

ナデラはなぜ手を引いたか、それはナデラがミカエルをモノだと
思っているから、グルシャはミカエルを人間だと思っている。
引けばミカエルが痛がり傷つくことがわかっている。
1回目は、ミカエルが傷つかないことを本能的に選択してしまった。
2回目は、引かないとミカエルが自分を人間とみてくれなくなるかもしれない。
葛藤の中で、ミカエル>自分 どうしても引けなかったんだと思います。

①小さな命を救うことは人として正しいこと(置き去りにしない)
②特別の存在へ
③その子のためには自分の思いは犠牲に

①→②→③と変化していったのです。
本当にミカエルのことを思えば、ナデラに渡すことはできない。
だけど、引きちぎることはできなかった。
それは、ミカエルにとってナデラと行くことよりも
もっとひどいことだから。

私は、グルシャをいい娘にとらえすぎでしょうか(^^; Comments

『ナデラとグルシャ』

トラックバック、ありがとうございます。
管理人さんは人を見る目が優しいですね。
私は人を見る目が厳しいのかもしれません。(^^;)
私は二人を下のように見ました。

ナデラはミカエルに物質的な財産の見返りを期待していた。
グルシャはミカエルに精神的な財産の見返りを期待していた。

だから、どちらもミカエルの幸せよりも自分の幸せを求めていることになる。
ミカエルにとってはナデラもグルシャも見返りを求める同じような存在。
そうなれば、親権は血の繋がりのあるナデラが持つべきであろう。
財産的価値がある限り、ナデラもグルシャも同じように可愛がってくれるだろうから。

しかし、二度目にグルシャが手をひかなかったのは、一回目とは違い、
グルシャに無償の愛が意識的に働いたからだと思うんです。
だからそこには迷い(善の誘惑)がない。
もし、迷いがあるなら彼女は再び三回目の審判を申し出ただろう。

ミカエルにとって必要なのは「無償の愛」=「親の愛」だと思う。
それを見るための審判だったように思うし、
あの時初めてグルシャは意識的に目覚めるような気がします、無償の愛に。
無償の愛はミカエルが成長していく中で必要な愛。
だから、親権はグルシャが持つべきもの。

私がひねくれて捕らえすぎなのかも知れないけど(^^;)。
けど、他人でも無償の愛が存在するって素敵なことですよね。(^^)
友達は母性だと言ってました。
「善」を考える時、ブレヒトは女性が強く持つ母性について
深く思うところがあったのかも知れませんね。
commented by ちくわぶ posted at 2005/02/13 16:20

自分で書いた過去の日記『「愛」は「大切」』をトラックバックするのも何なのですが・・・
私が今回の日記で使った
アガペー=無償の愛とエロス=代償を求める愛
この二つを、どういう意味合いで私が使っているかを
明確にしておこうと思って。

お返事もしたいところなんですが、
ちょっと今から班長会に出かけますので、また後で。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/02/13 18:31

ちくわぶさん、お返事遅くなってごめんなさい。
コメントありがとうございます。

ちくわぶさんが、書いてらっしゃることは、
表現は違いますが、私も同じようなことを思っているし、部分的には書いています。
こう書くと、「違う!」と反発されるかも知れませんが(^^;
無償の愛を良しとしている点では一緒ですよ。
というか、ほとんどの人が良しとすると思いますけどね。

ただ、私は母性を女性のものだけとはとらえたくないかな?
だから、母性という言葉は極力使わないようにして、
「人を愛する気持ち、大切に思う気持ち、尊重する気持ち」
そんな感じで捉えてます。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/02/17 19:53
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