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観劇によるカタルシス

この前から個人的に宿題な気分になっている「異化効果」を考えていて、
カタルシスってみんなどういう意味合いで使ってるのかなあと
ちょっと気になったんで、これまでの考えを整理する意味も含めて、
今日はそのことを考えてみます。
だから、多少これまで書いてることとかぶると思いますけど、お許しを。
って、いっつも同じことしか書いてないけどね(^^;
一人の人間が書いてるんで、これもお許しを。
なお、違う意見は大歓迎ですので、お気軽にお書きください。

「カタルシス(通痢効果)」って言葉は辞書によると、
1.文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。
2.精神分析で、無意識の層に抑圧されている心のしこりを外部に表出させることで症状を消失させる治療法。通利療法。

まあ、演劇におけるカタルシスは1.の「抑圧された感情の解放による快感」でしょうね。

「コーカサスの白墨の輪」の場合は、劇中劇の構成なので、
劇(A)におけるカタルシスと劇(B)におけるカタルシスを分けて、
私にそのカタルシスがもたらされたかを考えてみます。
でなければ、同じカタルシスという言葉を使っていても
違う意味合いで使ってる可能性が出てくると思うからです。

劇(B)のグルシャの物語とアズダックの物語
(物語が2つあるところもポイントかも)
そのものから得られるカタルシスを
「物語から得られるカタルシス」と呼ぶならば、
観劇という非日常的行為には、これとは違う
「観劇から得られるカタルシス」と呼ばれるものがあるのではないか。

今回の「コーカサスの白墨の輪」は2つの物語がシャッフルされることにより、
各々の物語は細切れになり、「物語から得られるカタルシス」は奪われる。
もし、ブレヒトが劇中劇のスタイルをとるのが、
芝居の進行中でも意識を覚醒させて、
劇(B)への客観視を求めているところにあるのだとすれば
(不勉強なの違っていたらご指摘を)、
シャッフル効果によって「異化効果」は成功していることになる。

「コーカサスの白墨の輪」の場合、演劇を観に来た人は
劇(A)への参加を通して演劇という非日常空間に参加し、
「観劇から得られるカタルシス」は得られるのではないだろうか?
ただ、物語から得られるカタルシス」というのが
物語と観客一人一人の関係で、個人個人違った精神の解放なのに対して、
「観劇から得られるカタルシス」は、観衆が同じ方向を向き、
叫び、踊ることによる感情の発散ではないかと思う。
つまり、ここでの個人の感情には深みがない。
また、今回は舞台上に上がった観客と席にいた観客に
大して差はないと思った(2階席はわからない)。
ただ、役者と観客の一体感がどれほどのものだったかというと、
これは席位置よりも個人差が大きいと思う。

少し、他の方の感想を読んでみたけれど、確かに多くの人が参加型であることが楽しかったこと、あるいはしらけたこと(少数ですが)、を語っていて、物語の内容は単純だったとしている、あるいは物足りないとしている人が多いように感じた。ただ、劇(B)の物語が観客に何も残さなかったかというとそうではないと思う。それ以上に劇(A)への参加が衝撃的だったということだろう。

「観劇から得られるカタルシス」は芝居を楽しいものとさせ、またお芝居に行こうという気にさせる。
例えが悪いかも知れないが、昨年の「浪人街」は、ラストの立ち回りとその後のカーテンコールでのサービスっぷりが特徴的だが、これに対するスタンディングオベーションは、「物語から得られるカタルシス」ではなく、ちゃんばらの爽快感とちゃんばらご苦労さま!という「観劇から得られるカタルシス」の極みなのではないだろうか。これは確かに観客に満足感を与え、思考を奪う。ブレヒトが嫌うものはこういうものかな?

ならば、今回の「コーカサスの白墨の輪」が「観劇から得られるカタルシス」を強調しているとしたら、それはブレヒトに反するのか? 私はそこまではいってないのではないかと思う。先の2つの物語から得られるものを払拭するほどのものではなかったように思う。ただ、私は物語を解釈するのが好きなタイプなのでそう思うのかも知れない。だから実際のところはわからないけれど。

もうひとつ、この芝居の特徴は楽屋裏を見せること。これは実はずいぶんと観劇が散漫になる。観たいところが多すぎる感じがした。1回観ただけじゃわけがわからず、参加できたことの目新しさ楽しさだけが残るかも知れない。いろんな人の感想を聞いてみたい。 Comments

一つのお芝居をじっくり考察していらっしゃるようで頭が下がります。ブレヒトや異化効果についてじっくり考えるのであれば、一度彼の著作をご覧になるといいと思いますよ。

「異化効果」って最近では随分簡単に説明されてますけど実際には物凄く込み入った理論ですし、その効果をもたらすためにブレヒトは理論だけでなく実践的なアプローチも多数考案していった人です。

僕は公演観てませんが、レビューなど見て「これはブレヒトではないな」と確信しています。逆に言えば、ブレヒトらしいブレヒトは一目で・一発で違うとわかるんです。それくらい一般的な演技・演出と異なってます。

ブレヒト本人の著作か、岩淵達治さんという方のブレヒト論をオススメしておきます。どちらも絶版だったり高価だったりしますが、大きい図書館行けば一冊くらいあるんじゃないかな?ではー。
commented by Kenichi Tani posted at 2005/02/24 02:04


Kenichi Taniさん、コメントありがとうございます。
演劇にお詳しいようですね。
私は、ここのblogをみておわかりのように、
某役者のミーハーファンですし、気楽に観劇できる環境にもいないので、限定的な演劇ファンです。
限定的といいながらも演劇ファンと言わせてもらうのは、お芝居を観るのは好きだからです。
ブレヒトはとくに興味があります。私は自分で考えるってことをとても大切に思ってます。だから、「あれ?」「なぜ?」と思えるわかりにくさは大切だと思っています。ブレヒトの劇にはそれがあるので好きです。
演出は串田さん以外のブレヒト劇を観たことがなかったのですが、Kenichi Taniさんのblogとかを眺めていて俄然興味が湧いてきました。ぜひ、観てみたいものです、オリジナルに近いスタイルというのを。

>「これはブレヒトではないな」と確信

おすすめの本を読んだら、少しはその確信の正体がわかるのかも知れませんね。実は、図書館は身近にあるのでちょっと見てきたら1冊ありました。
「ブレヒト」精選復刻紀伊国屋新書 岩淵達治著 
一応、借りてきましたが、今月末は非常に忙しいので
読むのは少し先になりそうです。3月6日に松本公演に行くまでに読みたいところですが、無理かなあ(^^;

いろいろ、ありがとうございました。
また、教えてくださいね。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/02/24 21:27


以前にも劇場で何度かお会いしていて、コーカサスの白墨の輪では東京公演の最終日に少しお話をした者ですが、おわかりになりますでしょうか?

コーカサスの白墨の輪についての日記をさらっとですが読ませて頂いています。管理人さんもいろんな人の感想を聞いてみたいと書かれていますが、私もそう思っていてたまにインターネットで感想を検索してみる事があります。

概ね「楽しかった」という意見が多いですが、先日辛口な批評を見つけました。これが結構手厳しい内容なので、お芝居を実際に見た他の人がその感想を読んでどう思うのかとても気になっています。

ブログというものは最近知ったばかりで、その辛口批評の掲載されたHPアドレスをこちらに掲載してよいのかどうかわからないため、コメントに書き込んでみました。

松本公演観劇を控えてお忙しい中こんなコメントですみませんが、もし辛口の批評でも読んでもいいというお考えでしたらコメントをお願いします。
commented by 世田谷でお会いしました posted at 2005/03/05 00:25


いらっしゃいませえ(^^)大歓迎です。
辛口批評もOKですよ。URLも案内していただいて大丈夫です。
今回のお芝居、結構賛否がはっきり分かれてますね。

楽しかった人のほとんどが演劇空間を体験したという満足(その人にとっての演出の目新しさも含む)を言っていて、苦言を呈している人のほとんどが物語のつまらなさ、ダラダラ感を言っている。おおむねこんな感じかな?

私は体験への満足が物語を否定するとは思わないけれど、
もう少ししっかりと考えてみたいなあとは思っているので、辛口意見もぜひ教えてください。○さんへの厳しい意見でもOKですよ。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/03/05 01:21


早速のお返事ありがとうございます。それではurlに辛口批評の掲載されたHPアドレスを入れておきます。

松本へ行く準備もあると思いますし、松本から帰って来られてからお時間の取れた時に読んで下さっても大丈夫です。でもかなり有名なサイトのようなので、管理人さんが読んだ事のある批評かもしれません。

あともう一つこちらのHPのダイアリーにも感想がありました。最初に読んだ時は○さんに関してのところは「そうかな?」と思ったのですが、辛口批評を読んだ後でもう一度読むと、残念だけど同じような感想の人が少なからずいるのかなと思えてちょっと落ち込みました。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/9740/

普段は自分もお芝居を観て生意気な意見をアンケートに書いたりする事があるのに(多分全然的を得ていないんですが・・・)、こうやってズバッと書かれた感想を読むと何故か落ち込んでしまいます。

そうかといって、読む感想が全て褒めてあったり好印象なものだと、「そこまで良かったかなぁ?」と思ってしまうし・・・自分はかなりのひねくれ者です。旅行前の忙しいところを失礼しました。
commented by 世田谷でお会いしました posted at 2005/03/05 07:46


おっ早速ですね(^^)
そのサイトは実はつい最近、掲示板の方で話題になりました。そこでコメントしましたが、その後、少し私の考えも変わって、最新の記事にもちょっと触れています。なので、掲示板で書いた内容を少し変えてお返事しますね。

そのサイトの批評が評論なのかなあ?という意見があったので、

それに答えて、
私は評論ではなくて日記だろうと思いました。
誰がみれて嬉しいってミーハーな感想って感じで評論とは言わないかな。
それで、日記に関して別の場所でどうこういうのはどうかなと思いつつ、
彼女が他人の作品を評価して食っている人であることと、
blogはそのドラマ評論家の名前で書いている以上、宣伝もあるだろう
という考えから、その人の意見についての私の意見を書くことにしました。

役者に関しては、技術的なところでの評価ではなくて、
「その役が自分にとって魅力的に見えるか」が評価の基準みたいにみえます。
○さんについて「どこへゆこうとしているのか」って評価は、
「作品選び・役選び」に対する評価に一見見えるけれど、
そこまで詰めた発言じゃないんじゃないかなと思いました。なぜかというと↓

彼女の感想の中にあった
「野外の舞台で出入り自由で10時間ぐらいだらだら」
これについては、最新の記事に書いてますが、
ある意味正しい評価なのだろうと思います。
おそらく、「物語から得られるカタルシス」を求めたが、
このようなぶちぎれの戯曲構成では得られないという評価だと思います。
そして、最初にテーマを与えられていないから観るほうは主体的に関われない、
これが、私の最新の記事の主旨です。

彼女は物語にあまり興味を持てなかった分、
物語の中に位置づけられたグルシャという役に対する評価はしてないように思います。
グルシャのようなキャラクターは「浪人街」で見たという印象を語っている。
私はグルシャとお新が作品の中で表現しようとしているものは全く異なっていると
思っているけれど、彼女はそこまで物語に興味を持ってないから、
その区別はどうでもいいんだと思います。

だけど、彼女はグルシャに求めます。
「大地から生えてきたような根っこのある女のひと」
「女としての哀しみとか、苦悩とか、ちらりと見たかった」

私は、○さんは今回のグルシャに
「娘から母への変化・可憐さ・逞しさ・素直さ・アホさ(要領の悪さ)・・・」を
表現していると思っています。それは確かにキャラクター的にはお新のキャラクターに
近いのかも知れないので、この点では一緒なのではないかな?
個人的には、それが今回のグルシャにはピッタリなんだろうと思っているので、
私は○さんのキャラクターづくりに満足しています。

彼女がグルシャに求めているものが、
「コーカサスの白墨の輪」に登場するグルシャの中に本当に求められるものなのか、
こういうグルシャもありでは?って考えられるとは思いますが、
物語にあまり興味をもっているように思えない彼女が、グルシャのキャラクター
設定に評論的意見を持っているとはちょっと思えないので(違ってたらすみません)、
たぶん、この人は単純に「こういう○たか子を見てみたい。」という風に思っていて、
それはこの作品の中でなくてもいいんじゃないでしょうかね。
「○たか子には無理だろう」という挑発もあるかも?

もし、彼女がいう女としての哀しみとか苦悩が
シモンとミカエルの間での葛藤だとするのなら、
私は、今回のこの芝居に関してはそれは薄くていいと思っているので、
この方とは意見が異なりますね。

「型にはまってそこにいるだけの人って感じが濃かった」

だから、これについても、
私は物語の中での○さんのキャラクターづくりに満足しているので、
よくわかりませんね。

ただね、ひとつ言えるのは、○さんは泥をかぶっても汚れない。
これは、私は生かすべきだと思うけれど、
泥をかぶったら汚れる人物を見せてくれという人はいると思う。
「松たか子は何をやっても松たか子」っていうのは、
この汚れないところ、希望の灯が消えないところを言うのではと思ってます。

そして、今回の役どころグルシャは、希望の灯であることが
必要な役だと私個人はおもっています。だから満足しています。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/03/05 22:12


http://www3.zero.ad.jp/ryunakamura/
ごめん、↑こっちが主だったのね。
今、気づいたので、今日の夜にでも書きます。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/03/08 09:02


松本からのお返事ありがとうございます。普段使わない頭を使ってお返事を書こうとしましたが、自分で切り出した話題なのに上手く考えがまとまらず、数日が経ってしまいました。

どうやら松本でのお芝居は本当に楽しかったご様子。管理人さんの仰るとおり、お芝居を観た本人が楽しめるかどうかが結局一番重要。他の人の感想はそんなに気にしなくていいんだ!もうこの話題に関してのお返事はやめておこうか?とも思いましたがそれもよくないので、一応コメントさせて頂きます。

まず、http://www3.zero.ad.jp/ryunakamura/ について。先日は間違ってコメントフォームのURL欄にこのアドレスを入力してしまったのですが、一番読んでもらいたかったのがこちらの批評で、管理人さんが読んで感想を書いて下さった日記は付け足しのつもりでした。どうやら私がお返事をまとめきらないでいるうちに、その事に気付いて下さったのですね。混乱させてしまってすみませんでした。あと、次の感想も一つ目と似たような感じでです。http://arts.jugem.jp/?eid=116

http://tabla.cocolog-nifty.com/junrei/2005/02/post_3.html

私は1つ目の評論でふれられているヴォヤージュやセツアンの善人、そして今回のコーカサスのように歌があってかつ観客を巻き込む感じのお芝居が好きなので、上記の批評を読んで結構落ち込みました。(3つ目URLの感想にはなるほどと思う部分が多かったですけれど。)

それと同時に、こちらの日記「観劇によるカタルシス」2/23のコメントでKenichi Taniさんが名前を出されている岩淵達治さんが、セツアンの善人(初演か再演の頃かは覚えていません)について、「テアトロ」か「悲劇喜劇」という演劇雑誌で辛口な批評を書かれていた事を思い出しました。

内容をはっきりと覚えているわけではありませんが、たしか「外国人俳優を使った事が有効だったのか?」という事と、「ブレヒトがやりたかった事と違う(ずれている)のではないか?」というような意見を書かれていて、今思うと、Kenichi Taniさんがご自分のブログでこのお芝居について書かれている事となんとなく似ていた気がします。(かなりおぼろげな記憶なので、もし違う内容だったらすみません。)

管理人さんご自身も5日の日記「削除された冒頭シーン」に書かれていますが、どうやら串田さんのブレヒト劇は普通のブレヒト劇とはかなり違うスタイルらしいということが、私にでもわかってきました。

そして管理人さんは、今回のお芝居が「物語から得られるカタルシス」よりも、「観劇から得られるカタルシス」を強調しているとしたらそれはブレヒトに反するのか?そこまではいっていないのではないか?と書かれていますが、私は、一回しか観劇できない人の事を考えると、反していないのかどうかがよくわかりません。

なぜなら私が初めてこのお芝居をみた時の感想が、役者さんが近い!でも台詞は聞き取りづらいかな、一人が何役もやっているのが面白い、音楽や効果音の出し方が印象的、といった観劇から得られるカタルシスにあたると思われるものがほとんどだったからです。(全くの的外れな事を言っていたらごめんなさい。)

肝心の物語に関しては、最後の子供の手を引っ張るシーンでグルシャがほとんど手を引かなかった事がすごく呆気なく感じられて強い違和感を覚えました。その時の感想とかなり近いのが次のURLの感想です。(2月26日のtakoさんの感想も、自分が思った事とちょっと近いと思います。)http://so-fal.cocolog-nifty.com/just_trivial_things/2005/01/post_1.html

幸いにも私はこちらのブログや他の方の感想をwebで読む事ができ、しかも2度目の観劇も可能でしたので、一度目とは違った見方でお芝居を観る事ができました。でも、もし観劇がたった1度だったとしたらこのお芝居に対する印象は、管理人さんが「観劇のカタルシス」2/23に書かれた「1回見ただけじゃわけがわからず、参加できたことの目新しさ楽しさだけが残るかもしれない」というまさにそんな感じになっていたと思います。

多分そうなってしまうのは、自分が普段から物事を深く考えていないというのが大きな理由だと思いますが、他に「客席によって役者さんの表情の見え方が全然違う」というのも理由の一つなのではないか、という気もします。

例えば、劇の最後で子供の手を引き合うナテラとグルシャの顔が見えるか見えないかで、グルシャがミカエルの手を引かなかった事があっけなく思えたりそう思わなかったりするのではないでしょうか?

今回のお芝居のような舞台設計は、何度も観られる人にとってはいろんな角度からお芝居が楽しめて良いと思うのですが、一度しか見られない人にとってはどこに座るかによって印象が異なるのではないかと思っています。

そういえば、管理人さんが「くたくたした大根の煮物」で書かれている、『「グルシャが手を引かないのはほとんどの人が「えっ?」と驚く。「何でだ?」って思う。この「何でだ?」って思わせる効果は絶大だなあ。』という言葉を読んで考えさせられました。私も「何でだ?」とは思いましたが、一人ではきっと「よくわからない。でも楽しかったらいいか。」と思って終わりだったと思います。普段からもっと物事を深く考えないといけないなと反省しました。

なんだか人の感想を引用するだけしておきながら、出来上がった文章は何が言いたいのかわからない物になってしまいました。感想を引用させて頂いた皆様、申し訳ございません。

最後にもう一つ書かせて頂きたいのですが、このお芝居が好きか嫌いかと言われれば、かなり好きです。どうしても外国人のキャストの日本語(あとたまに串田さんの台詞も?)は聞き取りにくいですが、そのどこかデコボコ・ごつごつした台詞の響きが手作り感を醸し出していて好きだったりします。歌の歌詞やメロディも一生懸命覚えようと思いましたが、ワインを飲んでしまう事もあって全部うろ覚え。誰か歌詞やメロディを覚えている人がいたら教えて下さいとお願いしたいぐらいです。このお芝居が好きな人や観たくても観られない人たちのためにも、このお芝居が何らかの形で後に残るといいなと思っています。では、これにて失礼します。
commented by 世田谷でお会いしました posted at 2005/03/09 02:08


コメントありがとうございます。すごくわかりやすいですよ。少しだけと言っても長いんだけど、日記でお返事いたしました。

ヴォヤージュの話はまた別のときに話しますね。
それから1回観劇の話は前から書きたいことがあるんで、またそのうち書きます。

その他にも、2つ目と3つ目のサイトも読んだらまた書くと思います。たぶん、ですけど(^^;
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/03/09 22:08
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