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悔しい気持ち

私、この芝居「コーカサスの白墨の輪」をみながら、ずっとなんというか悔しい?思いでみてたんです。悔しいというのはやっぱり表現が違うかも知れないのですが、何かがすっきりしない。

前にはじめて観たときに書いた言葉、
「どこか遠い国の遠いところのわけのわからないお話的な感覚を舞台の間中、受け続ける。」
「台所女中もピンと来なければ、兵隊さんもピンと来ない、生まれたときからの身分の差というもの自体が、現代の日本のさらに狭い世界に生きている私にはピンと来ないからでしょうね。」

前に書いたように、この芝居の舞台では、明らかな階層の差があり、その時代の人の感覚を私は理解しきれないなあという思いが悔しさの一つ。

もう一つは、戦で多くの人が死んで、恋人は帰って来ないかも知れず、民衆は簡単に支配者を裏切り、別の権力者になびき、生きることが精一杯な状況、それが日常であること。こういう状況に生きている感覚を私は決して理解できないだろうという悔しさ。

実はここで描かれている世界はすごい悲惨な世界なんだと思う。なのに、そこに生きている人たちがそれを日常としているため、また、悲惨さにくれていないため(それはある意味人間のたくましさ)、私たち観客に悲惨な状況として決して伝わってこない。
これを圧政の苦しみにあえぐ国の人が、あるいは、内乱が日常化している国の人が観たらどう思うのだろうか?

「セツアンの善人」のときにも感じたことだけど、ブレヒトっていう作家は、「権力者」と「衆愚」を描き、その中に「善」を見出そうとしているように感じた。
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