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寝てんじゃねえ、さっさと起きて答えろ

↓この記事にいただいたコメントのお返事を書きます。
http://matsutako.blog87.fc2.com/blog-entry-365.html

ネタバレします。

3年前、前半のアルドンサに少々の不自然さがつきまとっていたのは、
たぶん、多くの人が同意するんじゃないかと思うのですが、
今年の前半のアルドンサは、自然でものすごくいい感じです。

後半のアルドンサは3年前に下のように書いたように
http://curara.bblog.jp/entry/162174/

「本当の私を見て!」って叫んでるうちに
「本当の私って何?」って気づいた。

『寝室』のシーン
なぜ、病に臥せっているアロンソ・キハーナのもとへやってきたのか?
「本当の私って何?・・・」という思いに囚われていたアルドンサは、
ドン・キホーテが病気と聞いて、
もう一度会いに行かなければと思ったんでしょう。
アロンソ・キハーナではなく、ドン・キホーテに会いに。
なぜ、ドン・キホーテに会いに行かなければと思ったかは、
アルドンサ本人にもよくわからなかったんじゃないでしょうか。

だけど、会いたいと思った。
もし、もうすでにドルシネアの境地に達していたのなら、
アルドンサはドルシネアになれたお礼を言いにいって、
だからこそ、ドン・キホーテを復活させようとするのだろう。
もし、そうなら確信の中で、ドン・キホーテが歌ったように
ドルシネアは歌われなければならない。

でも、私が先に書いたように、最後の一押しが何か欲しかったのなら、
もう一度ドルシネアって呼んでもらいたくて行ったんだと思う。
同じようにドン・キホーテを復活させようとするのだけれど、
歌われるドルシネアは、私はドルシネアでしょ?ねえ違う?と
問いかけられていく歌、目覚め始めた自分を見てくれという歌。
「何、寝てんのさ、起きて答えてくれよ」っていう歌。
ほんの少しだけれど、違う感情だと思う。

私、本当に今年のアルドンサには深い悲しみを感じるんだよね。

ドン・キホーテは復活したとき、そこに真のドルシネアを見た。
だから、アロンソ・キハーナ=ドン・キホーテの役割は終わった。
ドン・キホーテの夢は「諸国遍歴」によって夢を継ぐことだったのかも知れない。
この「諸国遍歴」っていう言葉が今年はやけに引っかかるんです。

「男が死んだ。だけど、あたいの知らない人だった。」
「男」アロンソ・キハーナという一人の老人は死んだ。
アルドンサが知っているのはドン・キホーテだけ。
「ドン・キホーテは死んではいない」
このとき、はじめてアルドンサはドルシネアを確信したんじゃないかな。
「私の名は、ドルシネア」
ドン・キホーテの魂はドルシネアに継がれた。だから死んでない。
omments

ありがとうございました!
そうですね。死んだのは、アロンソ・キハーナという知らない人。
ドン・キホーテは死んではいないんですね。
そして、自分がドルシネアである事を確信する。
これこそ、ドン・キホーテの魂が受け継がれた証なんですね。

前に私が考えていたのは、アルドンサが、ドン・キホーテに会いに行った時、自分の中のドルシネアに気づいた事を伝えたくて、会いに行ったんだと思いました。
アルドンサなりに、髪も結わえ、身なりを整えて。
ドルシネアが会いに来たよって、ドン・キホーテの事も分からなくなっているアロンソに歌いかける。
カラスコ博士に追い出されそうになっても、諦めきれなくて、無理やり戻ったのは、自分の為では無く、アロンソに、ドン・キホーテの夢を思い出してほしいと思ったから。
アルドンサは、もともとは、とってもやさしい人。
お馬の大将と、ロバのちびすけに話かける所や、ラバ追い達と戦ってキズを負ったドン・キホーテを、「かわいそうに。」って頭に布切れ巻いてあげたり、中庭での儀式の時、サンチョと二人で、それを見守る姿には、やさしさが見えます。
だから、アルドンサが歌う「見果てぬ夢」は、相手を思いやり、問いかけるように歌っているんだと思いました。

管理人さんの日記を読むと、なるほど、そうなのかと感心します。
やはり、管理人さんの言うように、ドン・キホーテに会いに行った時は、まだ自分で確信が持てなかったのかと思います。
意識が朦朧とするアロンソに、アルドンサの歌う「見果てぬ夢」が、ドン・キホーテを思い出させ、そのドン・キホーテは、アルドンサにドルシネアであることを確信させる。
さらにそれは、アルドンサ役の囚人に...
夢を継ぐ感動のラストを思うと、初めは確信が無かった方がいいように思いますね。
commented by key posted at 2005/05/07 15:18

ご意見ありがとうございます。
アルドンサが「本当の私を見ておくれ」と絶叫して倒れるシーン
鏡の騎士の前で「わが姫ドルシネア様に・・・」と言われるシーン
このあと、寝室のシーンまでアルドンサは出てこない。

この間になんらかの気持ちの変化があって、
ドルシネアの姿となって、ドン・キホーテに会いに来ることだけは確か。

だから、keyさんの言うアルドンサもありだと思うんです。
ドルシネアになって、自分を取り戻して、そのお礼を言いに来た。
それもありだと思います。私も最初はなんとなくそんな感じで
思ってたし、多くの人がkeyさんの言うように思っていると思う。
本当に私もよくわからないので。だから、それでもいいと思う。

それにね、アルドンサが私の言うような最後のピースを求める
感情を抱いていたとしても、
そんな細かい感情を表現したとして、誰が気付くねん。
っていう気もするから、演劇の骨格がしっかりしていれば、
つまり継承されたことさえくっきりとわかるように表現されれば、
どっちでもいい部分のような気もします。

アルドンサは本当に優しいよね。やっぱ、最後は菩薩に見えるし。
ドルシネアとしての自分の姿を見せて、
ドン・キホーテに元気になって欲しいって気持ちも
もちろんあると思います。
commented by マツタコ管理人 posted at 2005/05/07 20:51
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