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その瞬間

私は「北風と太陽」の話が好きなんですよね。

北風的手法は、
「君はドルシネアだよ」といい続ける。
私は思う。もし、ただそれだけだったら、
アルドンサは心のコートを閉じたまま。
ドン・キホーテはただのきちがいのまま。
伝わらない。変わらない。

最後にアルドンサには心が通じて、カラスコ博士には通じない。
アルドンサは求めていたけれど、カラスコ博士は求めていなかった。
この差はすごく大きい。
アルドンサも、もう少し歳をとってたら、そう簡単には変われなかったかも。
ドン・キホーテの思いの強さが強烈であったかではなく、
相手の心が求めている部分に触れることができたがために変化は訪れる。

アルドンサを変えたのは、
あれだけボロボロになってしまったアルドンサを見ても、
なおかつドン・キホーテがわが姫ドルシネアと呼び、
ドルシネアであることを信じたから。。。

アルドンサはドン・キホーテの言葉を信じることができた。
だから、本当の自分を見つめる気になった。
自分が信じきることができなかったものを
ある人が信じ続けてくれたこと。
そのことをアルドンサ自身が信じることができたこと。
私は、これは太陽的手法だと思う。

寝室でドン・キホーテに向かって歌われる「ドルシネア」は
太陽的温かみをもった「目覚めの唄」
「あんたはドン・キホーテで、あたいはドルシネアだよね」と
問いかける唄。
「あたいは、あんたがドン・キホーテだと信じるよ、
だから、ドルシネアと呼んでおくれ」
アルドンサはドン・キホーテを必要としている。
老人は子守唄のようにドンキホーテを呼ぶ声に目を覚ます。
必要とされたから、諸国遍歴の騎士だから。
倒れて亡くなる直前のドン・キホーテは暗闇を抜けて、
朝の光の中、輝きを放つ。
私は、今年のドン・キホーテに不完全さをすごく感じるんだけど、
ドン・キホーテはこのときに完全になる気がする。

ドルシネアは最初から最後までドルシネアであることに変わりはない。
それに本人がどこまで気付き、意識しているか、なかなか難しいね。

私、やっぱり老人が死んで、アルドンサが悟ったときが
時計の針がきっちりと12時を指した時のような、
継承の「その瞬間」なんじゃないかという気がします。

だから、最後に歌い始める「見果てぬ夢」は
菩薩のように思ってしまう。
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