スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遍歴の騎士

先週見たときにすごく思ったのは、ドン・キホーテは・・・
狂人で滑稽に見えれば見えるほどいいんだろうということ。
でも、ドン・キホーテの狂人ぶりはいまさら語るまでのこともないよね。
ドン・キホーテってまともなことを言ってるシーンと、
とんでもないことを言ってるシーンがあって、その兼ね合いが
よくわからない。とりあえず、おかしなシーンをあげてみよう。

鎧兜を身に着けて剣と槍で武装するのだが・・・
どれもできそこないで中途半端な役に立たないものばかり。
大げさな物言い、エラソウな態度、
「私は騎士です」と言いまくって、無理やり肯定させようとする態度
ドン・キホーテはスタイルから入って、無理やり奮い立たせてるのかな?
騎士の称号が授与されてないからだとか、
騎士には戦うべき大魔王がいるもんだとか、
騎士には思い姫がいるもんだとか、

彼の憧れは「遍歴の騎士」だ。

風車と戦うシーン、床屋のシーン、ムーア人のシーン
これらは原作にあるシーンなんだろうけれど、
この話を「ドン・キホーテ」を主人公にしているがために
つけられているエピソードで、物語の骨格にあまり影響が
ないシーンに思えてしまうんですよね。

風車のシーンはドン・キホーテの滑稽さを表すのに最適で面白いシーン。
「遍歴の騎士」には大魔王がいるもんだという妄想だけれど、
器物損壊じゃんか。遍歴の騎士が器物損壊していいのか?
床屋のシーンは単純に面白いし、マンブリーノの唄が好き。
だからね、まあ在ってもいいんだけど。
黄金の兜を渡せと言うシーンって、
「遍歴の騎士」が持つと無敵の力が持てるという妄想だけど、
あれってかつあげじゃん。遍歴の騎士がかつあげしていいのか?
床屋のこと踏んでるし。。。

それから、ムーア人のシーンは、寛大な心を見せていて、
遍歴の騎士にふさわしいような気もしないではないけれど、、、、
これって追いはぎに身包み剥がされたってことでしょ?
なのに、宿屋に戻ってきたときに、さも戦ってきたかのように
「世に邪悪をはびこらせないために戦う」って言うのは、おかしくない?
だって、ムーア人を信じたばっかりに身包み剥がされただけで、
何にも戦ってないじゃん????
それとも寛大な心を見せたことが、邪悪と戦ったことなの?

まあ、ドン・キホーテが寛大なのはコンバットの後に、
敵に傷の手当をしてやろうとする「気高い心が許しません」で
わかるけどね。

ドン・キホーテは、
現実と折り合いをつけないから間違ってるんじゃなくて、
やってること自体が「遍歴の騎士」としておかしいだろうと思うんですけど。
だからね、ムーア人のシーン、そこだけ浮いてるように感じるんですけど。
まあ、このシーンは華やかではあるんですけどね。だって何といっても、
「ラ・マンチャの男」ってアルドンサの赤いスカート以外は、
わりと色が少ないミュージカルだと思うので、華やかさも大事だし。
それと今日友達が言ってたけど、
アルドンサの着替えの時間のためのシーンじゃない?って。
それも少しはあるかな。まあ、時間稼ぎにはどんなシーンを入れてもいいわけだけどね。

で、諸国遍歴は夢をみるためにあるんだろう。
「騎士の使命、いや勤め、いやいや、その特権とも言うべきもの」
ちょっとセリフは正確ではないんですが、
諸国遍歴は騎士の特権、この言葉好きなんですよね。
ドン・キホーテは騎士の道を彼が邪悪とみなす人たちに
説きたいんだろうな。

でもね、私は思うんだけど、やっぱり勝ち負けでしょ。
負け犬の遠吠えじゃあ、ダメでしょ。

私が言うのは、もし、ドン・キホーテが騎士の道を説きたいなら、
邪悪な人たちが騎士の道に目覚めなければ「負け」ってこと。
戦いを挑んだ自分に満足してちゃあダメでしょう。
やるなら、伝わるようにやらなきゃ。

ただ、夢を見るだけじゃなくて、
実現することははるかにむずかしい。やるなら
実現できるように本気でプロセスを考えて戦い続けなきゃ。

そう思うと、世の中はしんどい。
スポンサーサイト

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © マツタコA All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。